私と日本語 —過去と将来—
ジーナ
私が韓国で日本語を学び始めたのは小学校三年生の時でした。その時、私の母は日本で韓国料理屋さんをやっていたので、母が韓国に戻ってきた時はよく日本の歌を歌ってくれたり、日本語の単語を教えてくれたりしました。母を通してどんどん日本に興味を持つようになった私は、小学校3年生の初めに書道部をやめて日本語部に入ることにしました。
その時はまだ小学生でしたし、週に1回の日本語の授業だったのでなかなか日本語の力が伸びませんでした。3年が過ぎて6年生になっても、カタカナさえ読めない状態でした。周りに英語が話せる友達がいっぱいいたので、私は英語じゃなく日本語を一番上手に話せるようになりたいと思いました。そして、日本への留学を決心し、小学校を卒業した後すぐに日本の中学校へ入学しました。それから3年間で私の日本語力は信じられないくらい伸びました。
日本を離れて今年でもう4年半になります。今は日本で伸ばした日本語力で、カンタベリー大学で日本語を専攻しています。もっともっと努力して、完璧な日本語、英語、中国語の力をつけて、いろいろな言語を学べる国際幼稚園を立てられるようにこれからもがんばっていきたいです。
荻野雅由:カンタベリー大学人文学部日本プログラム、レクチャラー。ニュージーランド日本研究学会(JSANZ)副会長。ワイカト大学人文学部応用言語学科博士課程修了。博士(応用言語学)。言語習得と日本語教育学に興味を持っています。
この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.96(2018年3月号)」に掲載されたものです。